2022/1/18のメモ解放

 

“大学院生の主婦”という肩書きが炎上していたときに考えたことをメモしていたらしい。

以下(今となっては誰にdm凸しようとしていたのか全く思い出せない。)

 


私も似たようなことを思った


大学卒業後の、というか時期に限らず、進路選択の不確かなことよ

ストレートに院進すること、結婚して出産すること、就職すること、色んな選択肢があるけれど、実際に自由に選べる人なんてほぼいなくて、100%やりたいことといえるケースもほぼないように思うんですよ。

ストレートに院進したからといって、やりたい道かと聞かれて歯切れ良く答えられるだろうか?と。選択する過程で何かを諦めることもある。

結婚・出産して主婦業に専念することも、たしかに院進という道を諦めることにはなるけれど、自分で選んだ道であり、家族を作ることは幸福な経験だといえます。

 


私は、かの女性が大学院生であり主婦でもあります、とあえて明言する理由は、大学院生でも主婦業でも価値は同じだということを言いたいからだと思うんです。

 


主婦業をしている間、たしかにアカデミアを離れていることを悔しく思う瞬間はあるかもしれませんが、後悔尽くしではないはずなんです。

この方は4人のお子さんがいて、ある方は「子ども4人=幸せと決めつけるのはどうでしょう」とおっしゃいますけど、他人にどうこう言われる筋合いないですし、おそらく幸せでしょう、苦しいしんどいことはあれ。自分の子どもが産まれ育って、家族という存在を持たれているのですから。たしかに近年は毒親とか辛い親子関係の問題が取り沙汰されてますけど、原則と例外を見誤らないようにしたい。

 


主婦という属性は、結婚していて扶養されているとか、家事を取り仕切っているとか、そういう意味があるんですかね。

主婦以外に特に名乗る属性がない人もいれば、元会社員とか大学院生のような属性を持ちながらあえて名乗る人もいる、範囲が広いものですよね。

主婦業が半端なものだと思い込んでいる人は「大学院生で主婦」などと聞くと驚くかもしれません。

 


人生は不確かで、やりたいと思ったことをやり、己の欲を満たし、幸福を得ることは時として難しいものだと思います。

一度に全てを得ることも難しいでしょう。

いっとき不本意な選択をしても、いつかチャンスが来たらやろうと自分に言い聞かせ、希望を捨てずに生きること。

やりたいことがいくつもあり、今はこれをやると決めたけれど、もし機会があればあれをやろうと楽しみに生きること。

そういった生き方は、自然で、尊いとおもいます。

 


おそらく彼女は、そのように人生を送ってきた、そして見事チャンスを掴み、やりたいことを叶えた人でしょう。

自分が歩んできた人生を肯定しつつ今を生きているからこそ、「大学院生の主婦」と表明したのではないかと思います。

 


他方で、そううまくいかない人生も多いはずです。

大学院はおろか大学すら通えなかった、留学したかったけれどお金がなかった、結婚して子どもが欲しかったけどできなかった、などですね。人生が不確かであることに加え、能力主義では片付けられない不平等を前にして、希望を持てない状況にいることも理由でしょう。

 


今の社会が、女性に不利益を押し付けている以上、自己実現を諦めて不利な選択をせざるを得ない女性がたくさんおり、その一定数が「主婦」を名乗っている。そして“半端な”人だと思われている。

 


そうすると、「大学院生で主婦です」と名乗ることが、ものすごく恵まれたケースであることが分かるのではと思います。

 


※だからといってその方を叩くのは意味がわからない。そういう類の方に同調する気は全くないです。

 


私は、主婦という属性に押し込められた社会の歪みを感知せず、ただの妬み嫉みとして終わらせることに嫌悪を感じる。

 


件の大学院生で主婦の方は、こんなに困難な社会で、大変なことをやり遂げた方です。

もっとこんなふうに生きられる人が増えたらいいのに、希望を持ち続けながら生きられる平等な社会…政治家の演説みたいになってしまったけど、そんな社会にしていきたいですよね。

 


あと一言加えるとしたら、大学院で研究する枠を奪い合うっつーかそもそもアカデミアをもっともっとデカくして色んな人が色んな研究していけばいいやん!!!???もっともっと学問!!!!!!!

排他的にするから廃れるんだよ、もっと門戸を広げんかい!!!!?!!?!!!

 


以上です。